最上階に転落

惨憺たる喜劇であれ

祝福とペトリコール

めちゃくちゃ雨降ってますね
くっそ邪魔な傘持ってきてよかった

えー、本当は言わないつもりだったんですけど
毎回ツイートを躊躇ってしまうので言います
家出しました。

置き手紙して、Googleメールを残してるので音信不通とかじゃないんですけど
まぁ、携帯の番号も変えて、何も言わずに市役所で転居届だして
ついでに分籍してるので
言ってしまえば失踪になるかもしれないですね。
はい、失踪しました。

まぁ、でも、友達(Twitterでは家の人って呼んでます)の家にね転がり込むので
そんなに失ったものって無いんですよ
家の捨てたくない物たち送ったり持ってきたりしてますから
ただ前の携帯のCIMを抜いて新しいスマホだけと半日を過ごしてね
友達の仕事が終わるまで知らんカフェに入って時間潰してる間
なんとも言えない気持ちになってる
戻りたくは無いけど開放感ほどいい気分でもない
主治医には今日は帰りなって言われたしね、無視して来たけど
この寂しさ(寂しさって言うけど寂しいわけじゃないと思う)はたぶん捨てることが苦手だからだろうなぁ
全部捨てたわけじゃないけど
全部持ってきたわけじゃないから
少なくとも地元のことは捨ててきてるし
言いようによっては家族も捨ててる
後ろめたさ、というのが一番正しいかもしれない
後悔はしてないし
家の人と暮らせるの本当に楽しみなんだ
今日すでに迷惑かけてるけど(さっきまで主治医に帰れって言われて凹んでたから)
気にしなくていいよ、って言ってくれるから
なんとかなる気がしてくるね

結構前にフォロワーに失踪しようと思ってるって言ったら
失敗したら親に連絡行くよって言われたし
友達と暮らすことになったよって話したら(俺は絶対また嫌味言われると思ってたので言わなかったら家の人が言いました)3ヶ月以内に失敗するって言われたけど
その時は全然気にならなかったから
俺はやっぱり主治医にも応援してほしかったんだろうな
甘えていた
友達(これは高校の時の友達)も応援してくれたし
カウンセラーも応援してくれた
だから、私の好きな人たちはみんな応援してくれると思ってしまった
それは、甘えです。
褒められたことじゃない、応援されることじゃない
それでも遣り遂げるって決めたことだったから
改めて自分の意志だって思えてよかったよ
何を捨てても
誰の悪役になってでも
やりたいことだったって思い出したんだ。
隣にいてくれる人がいる限り笑っていられるけど
全く楽しいだけじゃないんだ
痛くて苦しい
だけど、痛くても、苦しくても
それでもその痛みを背負ってでも自由になりたかった。
ただ、それだけだよ

君の言葉に傷つけられてもいいと思った夜

大好きな友達がいます。
ずっと大好きだけどまともな人だから
私はその隔たりに傷ついてきた
メンヘラが嫌いで、生活保護で生きてる人間は音とか鳴って欲しいよねとか言う
福祉の欠片もない君
私は弱者でいつ自分が社会的保護に合うか分からないから
その言葉に頷けなかったけど
君の言葉になにも言えなかったのは私も君が正しいと思っていたから。
親に感謝すべきだと思っているだろうと思ったし
私の家が羨ましいと言う君
だから君の望む家庭の子供のフリをしていたんだ。

君の家に久々に泊まって
布団に入ったのにずっと下らない話で夜更かしをして
やっぱり君と話すのは楽しいなって思った
そして、ふと君が私に東京に出ておいでよっていつものように言って
私と話すたび君はそう言うからいつものように行きたいねーって流せば本当にいつも通りだったけれど
今の私には東京に出ていく予定があって
それはほぼ失踪に近いけど
君と話す夜があんまりに楽しいからそれを隠しているのが嫌になっちゃった
何て言われるか分からなくて
親に応援されるような自立ではなくて
これは本当に家族に対する裏切りだけど
君に応援なんかされなくたって私は引っ越すけど
否定されても、窘められても、慰められても
それでも私は君のことずっと好きだなって分かったから
傷つけられてもいいと思えたから
だから君に話したんだ
やっぱり君は話し合えばって言いかけたけど
まぁ、でも嬉しいからしちゃいなよ、失踪って言われて
私はびっくりするほど安心したんだ
あの日から黙っていることが君との最適解だと思っていたから
分かり合う気なんかずっと前に無くしてたけど
本当は私、ずっと君に知ってほしくて、分かってほしくて、応援してほしかったんだね
こんなことで泣くのはシリアスすぎるから泣かなかったし、泣きそうでもなかったけど
本当に嬉しかったんだよ

黙っていることで苛まれた五年間も無駄じゃなかったし
ずっと君のこと大好きだったけれど
こんな憂いに意味はなかったね。
君は私の味方だったんだから。

書きたいことなんてなんにもないよ

タイトルまま
書きたいことなんてなんにもなくなってしまったのかと思うほどブログを書いてない
文字を書いてない自分を好きになれない
苦しんで傷んでいないと文章なんて書けない
だから幸福な自分を愛せない
手紙もブログも自分のことを書けるのは苦しんでいるときだけだ
人を憎んだり鬱陶しがったり分かり合えないことに苦悩してるとき
今は苦しんでいないし痛んでいない
病院に行っていないから病状は安定していなくて
苦しいはずだけど
これは内なる苦しさで自分の問題だ
だから文章にならない
周りは変わってない、まったく
普段関わる人たちの人間性が変わったとは思わない
でも私は苦しまなくなってしまった
分かってる
もう何していても何をされても諦めがつくからだ、仕方ないと思えるからだ
音楽は私を救ったけど同時に期待を外に向けない理由になった
ノンブレスのアイラブユー
苦しくても隣人を愛しなさい
私がそう決めたのだから
愛することが苦しくても人と関わってないと生きられないのだから
だから自分のせいだよ

愛するとはなんだろう
私はずっと知ることだと思っているけど
知りたいは愛したいで
知ったら尊重するべきだ
そして私の中の隣人愛とは尊重だ
相手のことを知り尊重する
理解できることも、できないことも
だから愛されていると思うことはとても少ない
けど無かったわけじゃない
無かったわけじゃないから生きてこれた
だから、それでいいと思う
私は弱者で持てる者ではないけれど
愛を識って、履行しようとする
その意思を持っている
生きることを止めない意思を持っている
だから時に一方的に感じるような尊重(愛)を続ける覚悟を持つべきだ

どんな傷もその傷に対する治療を行わない限り永遠に痛むだろう
ひとつ見つけた幸福が全て救うなんてことありはしないのだから
そう思ってる私は後退しながらでも歩みを止めちゃいけないんだ

失恋と暴力

こんなタイトルにするとDVのあげく別れた女みたいだが
まったくそんなことはない
オタクとしての話だ
今別のアカウントでスペースをしているが(なんならこれを書きながらスペースを続けてる)
そのときに二次創作はしているかという話になり
昔にしていたという話をした。

これは失恋のはなし
そう、昔は二次創作できた
なぜなら、このキャラとこのキャラを交際させたい、こういうやり取りをしてほしい、こういう会話をしてほしい
そう思っていたから
今はそう思えない
夢女子を兼任しているから
正しくいうと主人公(俺)が男なので夢BL主
幸せになるなら俺と幸せになってほしい
俺と交際してほしいし、俺と会話してほしい
でも、できない
俺が今はまってるジャンルは漫画で既に俺が関与できないストーリーがあるから
これがソシャゲだったら夢BLもできた
でも漫画だから失恋が確定してる
三枚目キャラでみんなのことをちゃん付けで呼んで誰にでもフレンドリーだけど
内心冷めてて特定の居場所がなくてだからこそ自由なあんたが好きだった
なのに主人公との約束を守って逃げたいと思ってもそれがあるから戻ってきて
主人公との再開に涙して喜ぶあんたはもう、居場所がある
そして、それは俺じゃない
泣いた
夜中二次元にガチ失恋かまして泣く成人女性はキツい
ほんとに我ながら絵面がしんどくて笑えた
毎日楽しくてなによりです

暴力について
失恋かましたのはそいつだけど
一番推しなのは別のキャラなんだよね
そいつはとにかく四肢欠損させたい
暴力を与えたい殴りたい洗脳したい(ある意味作中でされてた)
そしてこれはBLだと割とある
血と臓物のリョナ割とある、好き、ありがとう
ただリョナ見てると興奮して血が舐めてぇとなりリスカしてしまう、キショ
まじできしょい人間だな、自分
耐えられねぇ
自分のキモさがしんどい

という話をしていたら
今のジャンルは失恋と暴力なんよ
と説明していた
語感が好きなのでタイトルにしたしブログを書いた
以上です
わはは、ハッピーライフ

眠らない月曜日

昨日寝たのが朝の7時で起きたのが夜の7時だったので
今日も夜のうちに寝れなくて
朝方に終末のフールの鋼鉄のウールを読んだら
散歩したい気分になったので
散歩をしている
今は公園のベンチに座ってこれを書いている
書きたいことがあった気がしたが全く忘れた
ので、今思ってることを書こうと思う

小説が読めるようになったのは嬉しかった
基本的に現実逃避が好きだから
本を読むことと映像を見ることが好きなのだ
あと音楽も好きだ
ただ音楽は現実逃避と言うより慰めに近い気がする
散歩するときに聴いていたのは
黒木渚のフラフープだ
私はよく人に人間が嫌いでしょと言われるが
この曲を聴いてる俺が人を嫌いなわけないだろと思う
めちゃくちゃ人が好きとは自信をもって言えないが
人が好きだろ
というか関わりたい会話をしたい
でも人と会話して救われることってまず無いんだよな
というか人と関わって救われることってそうそうない
人に貴方は寂しくないのね と言われたことがあるが
逆だ
常にめちゃくちゃ寂しいので人ごときでは私の寂しさを埋められない
人にはその人の時間があるから私を常に構っていられない
常に構ってくれるものが好きなのだ
それこそ小説とか音楽とか映像とか
生きているものでは足りない
それでも会話はしたい
だから人と全く話さない日はフラフープを聴いてしまう
前向きにその日を受け止められる気がするから
あまり落ち込みたくないのだ

散歩の途中で本を読もうと思って本を持ってきたが
眠くて読みたくない
正直家に帰って今すぐ寝たい
でも今から寝たら夜まで寝るし
それは明日仕事なので困る
このままなんとか今日を夜まで持っていきたいよ

みんなはこれから仕事かな
いってらっしゃい

生きていてよかった

皆さんは言えますか?
生きていてよかったって
私は言えました

今日カウンセリングがあったんですよ
久々だったので色んな話をしました
そこでね、今も劣等感があるし焦燥感もあるし妬みや嫉みは無くならないし
きっと急に死んでも安心してしまうけど
それでも生きていてよかったって言いました
思っています
ここまでくるのに8年でした
短いですね
今思えば短いです
8年間走ってる間は長かったです
17歳から25歳まで…早くてよかった
25歳で前向きになれたら人生まだまだ余裕があります
きっとやりたいことやれます
幸せですね
治ったわけではないので転ぶでしょうし
嫌になるし、また死にたくもなるでしょうね
でもここまで生きてこれた
ずっと無理だと思ってたんですよ
うーん、無理だと思っていたは嘘かな
諦めていたんですよ
死にたい思いも死ぬことも
楽しいと死にたいをイーブンにはできずに
それでも死に損ない続けるんだと思ってたんです
それをするために、死なないための治療だったんです
私のなかでは
でもちゃんと生きていくための治療になってた
嬉しかったです
カウンセラーに生きていてよかったって言ったら
僕は今感動してますって言われたよ
そこまで想ってくれてありがとう

治療していくなかで前より楽になったっていうのはずっと思ってたんだよ
だから人に治療したらって言ってしまう
でも治療は痛いからみんながみんなできないよって言われた
そんなの私だって知ってるわ
なにもなんの痛みもなくずっと楽になることだけ感じていたわけじゃない
病院の帰り道毎回泣いたり
なんの意味もねぇ!!痛いだけ!!死ね!!と思ってサボったことだってめちゃくちゃある(ほぼその度に入院していた)
それでも私は治療をカウンセリングを続けてた
治したいからじゃなくて必要だと思っていたから
私が社会で生きていくために必要だと思っていたから
だからやっていただけだ
楽になったのは結果
楽しいと思ってやれるようになったし
やっててよかったって思えるし
少しでも興味があるならやるべきだって言うけれど
楽になるかどうかなんてその人次第だ
誰だって自分を変えるの嫌でしょう
変わるなら魔法みたいに奇跡が起こって急になんの痛みもなく変わりたいでしょう
そんなの無理だって知っていたから分かっていたから
私は傷ついて辞めて逃げてそれでも戻ってきただけ
私が強かっただけ
だからもう人には勧めない
自分じゃなくて世界に希えばいい

私を救えるのは私だけだから
私は誰にも願わない

この肉体に還る罪よ

眠れず暇潰しと書いたブログに別れを告げても
カフェインで覚醒させられた脳みそは思考をやめなかった
迎えた早朝4時に私はどうせ5月いっぱいで去る職場なのだからと
ズル休みすることを決めた
虚偽の申告をし今日の休みが確定したところで
私はやはり眠れず
手持ちぶさたに二次創作の小説を読む
今日読んでいたのはSFホラーだった
ネットで撒き散らされる呪いの正体は数年前肉体を捨て精神だけになった悲劇の医者の妄執だった
そんな話
そこで出てきた「どんなに高尚な人間であっても肉体という檻から放たれたとき理性を手放さないことは容易ではない」
この内容に私はたしかに救われたのだ
ここ数日の怒りも失望も悲しみも
私は精神だけでは理性を手放してしまうとは考えていない
少し違う、というか順序の問題かな
この肉体に罪が宿ると考えている
罪の在りかは肉体で、だからみな理性的に振る舞うのだと考えている
私も例外なく
これは前にやっていたブログで散々書いた自己紹介なのだが
私の肉体は私のものではない
この肉体は17歳で飛び降りた、あの少女のものである
彼女は死んだ
たぶん、もう帰ってこないだろう
いつか私がちゃんと治って私が私であると思っても
きっと彼女ではない
それは治療を終えた私であって(生涯治療を終えることはないと思っているが)
また彼女が常に持っていた(持っていると意識すらしなかった)
自身である確信は一生得られない
私は私を偽物だと思っている
でも私が彼女がしなかった治療を続けているのは
彼女の肉体がある限りこの肉体に罪が、責任が、切り離せないものとしてあるから
だから彼女のかわりに私が携えていくのだ、これまでも、これからも
その罪を私のものとする限り
私は本物より本物の彼女である
そう考えているし、これからもその考えを改めることはまずないと思う
でもそれは私の思想だ
そう、気付けた
前置きが長くなった
つい最近、人に思想を押し付けてキレさせてしまったことがある
これはそれに対する返事のようなものだと思って欲しい


私が自分の思想に気付くのは
他人の思想に触れたときだ
物語でも、音楽でも、対話でも
反するようなことを言うが私はたぶんとても内向的な人間で
常に己のなかでぐるぐると詮無いことを考えているし
自分の思想が好きであまり他者から直接的な影響は受けない
でも一人で考えているとき思想が言葉に、形になることは稀で
常に意識として頭にはあるが文章や言葉になるときは
どうしたって他人の思想が必要になる
それを成長だと思っているし
外からの刺激がないものにアップデートは存在しないと思っている
いや、思っていた が正しいかな
私はいまでも自分の中のその考えが間違っているとは思わないが
他者に押し付けるのは私のエゴでしかないと気付いたから
なにを成長の手法とするかは人それぞれだ
今はそう思える
そう思えるようになったのもやはり他人の言葉からの刺激なのだけど
言葉は明確で鋭く確かな形をしている
だから傷つく、傷つける
でもその傷を癒すのも確かに他者の言葉であったから
その傷のことも私は悪いものだと思えない
だから言葉が文章が対話が好きだ
一人で考えているときの尖りきった自分の思想も好きだが
人の思想と触れ合い削られていく共生のための思想も好きだ
それは私が人といたいという、まだなにも諦めていないということだから
これまでも、これからも尖った部分で人を傷つけることもあるだろう
完全な球体になったらつまらないだろう
それでも私は優しい形をしていたい

削り削られて丸くなる