最上階に転落

惨憺たる喜劇であれ

知らない人と仲良くしてる人たち

これはきっと普通で当たり前なんだと思うけど
私としてはそこそこ辛く、いったいなんなのだろうなぁと思うから
そういう音楽を聴きながら書いている

高校の部活の同級生たちとまだ交流がある
私はまだ24(今年の誕生日で25)なので
高校の部活の同級生たちと交流がある
むしろ過去の関わりはそこしかない
中学も短大も歴代のバイトも交流は残っていない
貴重だと思うし
まだ仲良くしてくれることをありがたく思ってる
でも彼女たちと話すとき
私は私の思想をひとつも持っていない
恋愛に対しても仕事に対しても家族に対しても友達に対してもその他の人間関係に対しても
何一つとして私が考えている内容ではなくて
私がこれが一般的だろうなと思う価値観を話している
それを少し私が言っていることっぽくしている
きっとそんなことは当たり前で誰もがやっていることで
私が特別辛く思うようなことではないのだろうけど
でも私はいつも彼女たちと話したあと
自分が思ってる、考えていることってなんだろうと思うから
だから私は、この記事を書いている

腐女子でよかった
私が萌えるだろうBLの話を私の恋愛観として語れるから
そこそこに働けててよかった
仕事の話題を振られたときに困らないから
ドラマが好きでよかった
家族を好きな人はなんて言うのか分かるから
まだみんなと仲良くしててよかった
友達の話ができるから
私が私でよかった
なんの話でもそこそこに盛り上がれるから
そう、盛り上がれる
えー!うそー!あははーってできるから
やったあとに疲れるとしても、できないよりいい
なんだってそうだけど

でも、やったあとに私はなんの話をしたのかなと思う
センチメンタルになる
疲れたって思う
つい最近Twitterで「友達とリモートで飲み会するの楽しい!」ってツイート読んで
あれって楽しいんだって思った
楽しくなかったから
大声で笑うけど終わったら何が楽しかったのか分からないなって思うの
今回も思った、飲み会のあといつも思う

一年前にグループラインから抜けた子のことを考える
ここより居心地のいい場所を見つけたのだと私は考えているけど
それで居心地のよくないこの場所を捨てられるのは強いなと思う
私にはその勇気はまだない
いずれ放っておいても無くなるだろうから
結婚とか子供とか仕事とかで集まらなくなるだろうと思う
はやくその日が来ればいいなと思っている

私はブログを読まれても困らない相手を友達と呼びたいけれど
それだと私の友達は一人になってしまうから
すべてを晒さなくても友達だと思いたい
きっと世の中の友達ってそういうものだと思うから
別に本当の自分を知っていなくてもいいのだろうし
本当のことを言えなくてもいい
感情を偽っていいし演技して笑っていい
友達も家族もそういうものでいいのだと思う
でないとなにもなくなってしまうから

君が仲良くしてるその私は知らない人だよ